「水分神社」

 
曼荼羅寺地区にある水分神社

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「仲多度郡史」(T7.1.15, 香川縣仲多度郡編纂)によれば−−−

(村社) 水分(ミクマリ)神社    吉原村大字吉原字水分
村の南部にありて東方に向へり。村社にして曼荼羅寺部落の産土神とす。 祭神は天之水分神。國之水分神を奉齊す。一つに籠明神とも稱せり。 勸請年月定かならす。明治二年本殿を改築し、同十六年、幣殿、拜殿を 改築せり。之れ乃ち現今の建物なり。
本殿(一間四方)流レ造、瓦葺。幣殿(一間半四方)釣殿造、瓦葺。拜殿 (二間に二間半)入母屋造、瓦葺。境内坪数三百二十七坪。椋大木數本あり。 其他雑木大に繁茂せり。
境外に 木能神社(字寺前) 生ノ木神社(字岡) 荒魂神社(字堂ノ下) 山神社 二社(字我拜師山。字荒井) 八幡神社(字炎摩)等の末社五座ありしか、明治 四十五年二月、本社に合併せり。 



現在は「ミズワケ」神社と呼ばれているようだ。
水分神社は古事記にも書かれている天之水分神(あめのみくまりのかみ)。國之水分神(くにのみくまりのかみ)を祭神(ともに分水嶺を掌る神)とする由緒ある神社らしいが、ウェブで吉野水分神社を検索すると、水分(ミクマリ)→ミコモリ→コモリとなったとのこと。
従って、水分神社はコモリさんとも呼ばれるらしい。

R03.11.27のTV「世界ふしぎ発見」では分水嶺特集として、清少納言が書いた枕草子にも「みこもり」(=みごもり)が記載されており、奈良の吉野水分神社に豊臣秀吉が参拝して後の秀頼を授かり、子宝神社として今の社殿は豊臣秀頼が建てた、とのこと。

そんな由緒は忘れ去られるから、「コモリさん」とはお籠りして祈祷したとか、神社の社叢がコンモリしているから、とか諸説が生まれているのではなかろうか。 水分神社が吉原の雨乞い祈願の元の水であるようだが、水分神社はさらに、まんのう町七箇の尾瀬(おのせ)神社から神泉の水を汲んできているようである。尾瀬神社は以前には水分社と呼ばれていたらしい。
吉原には水の神様が3つあって、その1つが曼荼羅寺の水分神社であり、あとの2つは三井之江の龍王さんと十五丁の落神さんである。尾瀬神社から汲んできた神水が吉原の雨乞い祈願の元の水であったようで、これを水分神社が龍王社やオチガミさんに雨乞いの水として配っていたようである。


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<刻字の調査(平成29年12月)>
正面「水分宮」
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背面
H29.12

H29.12 H29.12

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背面から見て刻字備考
(右脚)維時明治四十有二年 欽而建焉 維時(これとき)、 欽而(つつしんで) 建焉(ここにたつ、これをたつ)
(左脚)歳次己酉桂月吉祥日 本社総産子 「歳次」:12年周期で運行する歳星(=木星)の位置=年回り、「桂月」:旧暦8月




水分神社  百度石  注連縄石  狛犬  社殿  古い祠

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  西行庵  人面石  鷺井神社  東西神社
我拝師山  香色山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  乳薬師  月照上人  牛穴  蛇石

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