「七仏寺(乳薬師)」

 
大池のそばに七仏寺のお堂がある。昭和30年頃までは縁日で賑わったものであるが、今は静かに佇んでいる。

−「讃岐の伝説」武田明・北条令子著(S51,角川書店)によると、−

七仏寺は今では乳薬師の名でしられているが、古くは七体の仏像を安置した古寺であった。乳の出ぬ女の人が祈願するお堂になっている。



乳薬師のお堂

H13.9.1

H30.1.14

H13.12.9



 
寛政2年庚戌(1790年)3月吉祥日

(内部) 願いがかなったお礼の乳房の奉納が一杯
H30.1.14

  

H30.3.21 

碑文
前面 弘法大師御作
  七佛薬師如來
左側 安永八年歳次己亥十二月八日建之
右側 願主 青氈堂
背面 施 主 三井之江講中 并十方檀那
 世話人 蓮淨 小七朗

安永8年=1779年、青氈堂の「氈」は左右を入れ替えた異体字が彫られている。
十方檀那=あちこちの檀家、方々の施主


石段とその縁石(1〜4)
H30.3.21

石段の縁石1(上段の右)
(写真は左から、内側面の拓本・内側面・正面・外側面)
H30.4.10   
正面は判読不能だが、強引に読めば「福崎」という名が入っているのではなかろうか。

石段の縁石2(上段の左の縁石の内側面)

上段の縁石は左右内側で「大正元年 拾月吉日」と刻まれている。

石段の縁石3(下段の右)内側面・正面
H30.4.10 
これも判読不能だが、正面は強引に読めば「安藤良造」かもしれない。




隣接する大池の底から出てきたという七仏?(7体あります。)
H13.12.9

堂内の縁起状


    略縁記
抑 当山七佛薬師如来の来由をたづねたるに往昔弘法大師此處に一宇の精舎を建立 本尊に石像の七佛薬師を彫刻し給い五穀成就 および衆民の疫疾を救いたまわらん為に 多日 七佛薬師の秘法を修し其願既にみて給う 依て醫王山七佛寺と号し世 こそって信仰するに益をうくるもの幾千万と云ふ數をしらず 然るに中頃乱世の砌り兵火のために回縁し歳久しく 本尊は土庭にうづもれ給ふに承應年中此邊りの大池を築し節 不思議の事ともおはし宰領何某これをいとはず池堤用石のためにとてすでに打碎かんとせしに たちまち罰をかむり速死すと云えとも もとより佛の方便たるゆえにか夢の覚めたるがごとく蘇生しぬ 則その夜化僧現して夢想の告あり古への伝説のことーー云々
よりて此處に曳きあげ奇異のおもいをなし小堂を造立し安置奉る  世は繞季におよふといへとも霊験あらたなること斯のことし何そ尊伝せさらん哉
    讃яス度郡吉原村三井之江
      醫王山七佛寺舊跡

  本縁起紛失によりて村民野翁の口史につたふる所を記し信仰のともがら結縁のため畧縁起にあらはすものなりし

昭和四十八年弘法大師御誕生千二百年記念あたり三井之江村落に伝はる畧縁起を冩す  品田豊松

        (以上、誤読もあろうかとは思いますがご容赦)


乳薬師 芋畑  歌碑  大池  江戸時代の七佛薬師  江戸時代の芋畑古跡

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  西行庵  人面石  鷺井神社  東西神社
我拝師山  香色山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  月照上人  牛穴  蛇石

香川県善通寺市吉原町  トップページへ


inserted by FC2 system