「天霧山」
標高381.5m。 山頂部に天霧城跡がある。
天霧城主の香川氏は、相模国香川庄を本貫地とし、鎌倉権五郎景政の子孫と伝える。南北朝期に細川氏とともに讃岐に至った。天正7年(1579)長宗我部氏に降り、同13年羽柴秀吉の四国攻めで降伏し、元親とともに土佐へ退いた。−−日本歴史地名大系38「香川県の地名」(平凡社)より
天霧城の名前の由来として、この山城が包囲されたとき、白米を馬にかけて、馬を洗うほど水が豊富にあるということを敵に見せつけて、山城の弱点を見破られないようにした。ところが、その内実を尼さんが敵にもらしたため落城、その尼は切られたので、尼斬り城という名がついたといわれる。
−「讃陽古城記」によると−
多度郡 天霧城跡
香川山城守信景城。右信景ハ、鎌倉權五郎景政末葉ニテ、景ノ字通字也。三野・豊田・多度三郡之旗頭ナリ。細川家四天王之其一人也。
我拝師山から見た吉原町全景と天霧山
−採石場により山容が変わってしまった−
天霧城
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