「山家集」に;(「山家集金槐和歌集 日本文学大系29」風巻景次郎・小島吉雄校注、S36.4.5 岩波書店発行)
西國へ修行して罷りける折、兒島と申所に、八幡のいはゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年經て又その社を見けるに、松どもの古木になりたりけるを見て
むかし見し松は老木に成にけり我年經たる程も知られて
と書き記されている。
「山家集」(宇津木言行:校注、H30.9.25、角川ソフィア文庫)によれば、
この八幡宮については諸説ある。郡(こおり)八幡宮(岡山市郡弁天島)、八浜八幡宮(玉野市八浜)、大崎八幡宮(玉野市大崎)、清田八幡宮(倉敷市曽原)などに可能性がある。
となっている。
児島湾岸にそって、各地の八幡社に西行の歌碑が建てられている。
【八幡若宮】 (岡山市郡) 西行歌碑
児島湾締切り堤防の南端のたもとに宗形神社がある。
宗形神社のすぐ左側奥に八幡若宮社がある。
拝殿の左奥に歌碑が見える。
八百年の栄枯盛衰は想像もつかないが、現在の拝殿・本殿は非常に質素。昔は大きな神社だったのだろうか?
西行の好みに合っているといえるかもしれないが、参籠したとするには小さすぎないか。
歌碑
変体仮名が多く使われているが、ここに刻まれている歌と俳句がネット上に紹介されている。
西行
むかしみし松は老木に成にけり
わか年へたるほともしられて
いなつまや 闇のかた ゆく五位の聲 はせを
<「五位」は五位鷺(ゴイサギ)、 「はせを」は ばしょう(芭蕉)>