岡山県児島の八幡宮の西行歌碑

 「山家集」に;(「山家集金槐和歌集 日本文学大系29」風巻景次郎・小島吉雄校注、S36.4.5 岩波書店発行)

 西國へ修行して罷りける折、兒島と申所に、八幡のいはゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年經て又その社を見けるに、松どもの古木になりたりけるを見て

   むかし見し松は老木に成にけり我年經たる程も知られて

と書き記されている。


  「山家集」(宇津木言行:校注、H30.9.25、角川ソフィア文庫)によれば、
この八幡宮については諸説ある。郡(こおり)八幡宮(岡山市郡弁天島)、八浜八幡宮(玉野市八浜)、大崎八幡宮(玉野市大崎)、清田八幡宮(倉敷市曽原)などに可能性がある。
  となっている。

児島湾岸にそって、各地の八幡社に西行の歌碑が建てられている。


【八幡若宮】 (岡山市郡) 西行歌碑

児島湾締切り堤防の南端のたもとに宗形神社がある。
H31.2.15

宗形神社のすぐ左側奥に八幡若宮社がある。
H31.3.24

H31.2.15

拝殿の左奥に歌碑が見える。
H31.2.15 H31.2.15
八百年の栄枯盛衰は想像もつかないが、現在の拝殿・本殿は非常に質素。昔は大きな神社だったのだろうか?
西行の好みに合っているといえるかもしれないが、参籠したとするには小さすぎないか。

歌碑
H31.2.15

変体仮名が多く使われているが、ここに刻まれている歌と俳句がネット上に紹介されている。

      西行
  むかしみし松は老木に成にけり
     わか年へたるほともしられて

  いなつまや 闇のかた ゆく五位の聲   はせを

<「五位」は五位鷺(ゴイサギ)、 「はせを」は ばしょう(芭蕉)>



石の面が荒れているので綺麗ではないが、拓本を採ってみた。右端はその解読案(「くずし字用例辞典」及びネット上の「変体仮名一覧表」を参照)である。
H31.3.23 H31.3.24 

変体仮名が多用されているが、この歌碑はいつ頃建立されたのだろうか?(明治時代までは変体仮名が普通に使われていた。)
変体仮名は、1つの仮名に対して幾通りもの漢字が当てられている上、その漢字の崩し方もまちまちであるため断定しにくいが、上掲右端のように彫られているようだ。
「稲妻」は、平仮名では「いなづま」と書くと思われるが、彫られている字は「いな須(す)ま」と彫られているようにみえる。

「いなつま」なら「つ」は次ような字だが、どうもそうは見えないのではなかろうか?




西行自記という「山家集」に出てくる児島周辺の史跡・地名を現在の地図上にプロットすると(赤文字)、次のようになる。(濃紫色の文字は源平合戦史跡



西行とほぼ同時期の源平合戦当時の地図がネット上にあったので、その上に上記のプロットをスライドさせると当時の島とよく合う。



吉備の穴海の昔の推定地図がネットにありました。

これが西行も歩いた源平合戦の頃の地図でしょうか。


西行法師が昔に籠ったことのある児島の八幡社はどれかわからないが、昔の児島(文字通り島であった)の中に候補地がいくつもある。



児島周辺の西行史跡 両児山の八浜八幡宮  曽原の清原八幡宮  アミ漁の歌碑  日比・渋川  瀬戸内と真鍋島


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